■ 三方よしは、母親を守るための考え方

2025年12月15日

三方よしは、 「みんなを完璧に幸せにする」教えではありません。 誰か一人が犠牲にならないための知恵です。


 だから、 叱らない日があってもいい。 今日は流してもいい。


 それは、 商人道的に見ても ちゃんとした判断です。


叱る前に、三方よしが崩れていないかを見る

― なぜ「叱る」は、あとで苦しくなるのか ―

叱ったあと、
子どもが黙り込む。
部屋の空気が重くなる。
自分の心も、ざらっとする。

「ちゃんと言ったのに」
「必要なことを伝えただけなのに」

それでも残る、
この違和感。

商人道では、
この状態をこう見ます。

叱りが悪いのではない。
叱る"前の状態"が、もう崩れている。

■ 叱りは「教育」ではなく「結果」だった

多くの母親は、
「どう叱るか」を考えます。

  • 優しく言うべきか
    ・厳しく言うべきか
    ・一貫性を持つべきか

でも商人道の視点では、
叱りは"手段"ではありません。

叱りは、
三方よしが崩れた結果として現れる現象です。

つまり、

  • 余裕がなくなった

  • 話を聞いてもらえなかった

  • 関係がずれてきた

この「積み重なり」の最後に、
叱りが出てくる。

だから叱りだけを修正しても、
また同じことが起きます。

■ 三方よしが崩れると、叱りは「攻撃」になる

三方よしを、もう一度確認します。

  • 母よし

  • 子よし

  • 家庭よし

叱りが必要になる場面の多くは、
この3つが同時に崩れています。

特に多いのが、
母よしが先に崩れているケースです。

疲れている。
我慢が続いている。
「ちゃんとしなきゃ」が積み上がっている。

この状態で出る叱りは、
伝えるための言葉ではなく、
自分を守るための言葉になりやすい。

だから、
あとで苦しくなる。

■ 近江商人は「叱らなかった」のではない

ここで誤解してほしくないのは、
近江商人の奥さんたちは
感情を我慢していたわけではないということ。

彼女たちは、

  • 無理な商い

  • 家を壊す判断

  • 自分をすり減らす決断

に対しては、
きちんと NO を言っていました。

ただしそのNOは、
怒りではなく
構造への指摘でした。

「それ、続きませんよ」
「それ、家が先に潰れます」

これは、
叱りではなく、
方向修正です。

■ 子育てに置き換えると、こうなる

子どもに対しても同じです。

叱る前に、
こんな問いを立ててみてください。

  • これは「危険」か「都合」か

  • 今すぐ止めないといけないことか

  • 明日話してもいいことか

商人道では、
今止めるべきことは、実は少ないと考えます。

本当に今すぐ叱るべきなのは、

  • 命に関わること

  • 他人を傷つけること

それ以外は、
叱らなくても
関係を整えることで自然に収まることが多い。

■ 「叱らない」判断は、逃げではない

母親が一番苦しむのは、
「叱らなかった自分」を
責めてしまうときです。

でも商人道では、
こう考えます。

叱らなかったのではない。
叱らないほうが"三方よし"だった。

これは、
判断の放棄ではありません。

長く続く関係を選んだ、立派な判断です。

■ 叱るかどうかより、大事なこと


商人道が本当に大切にしているのは、
叱るか、叱らないかではありません。

戻れる関係があるかどうか。

  • 話しかけられる
    ・笑顔が戻る
    ・次の日が続く

これがあれば、
叱りは"育ち"に変わります。

■ この話を、対話で深める場

「みっちゃんの寄りあい食卓」では、
この「叱る」をテーマに、

  • 子育て

  • 人材育成

  • 家庭と仕事の両立

を、商人道の視点で
少人数で対話する時間をつくっています。

正解は出しません。
でも、
帰るときに少し肩が軽くなる。

そんな場です。